稲熱病と言って、稲の生育期に発生し、その部分が稔らなくなる、稲の病であるが
今は栽培技術がすすんだのと、有効な農薬が出来て、殆ど発生しない。
だが、いもち送りは続けられている。約300年前よりと伝えられているこの行事は,
松明(たいまつ)を燃やして行列を作り、虫を誘いこんで殺しながら、村はずれの地点
まで送り出してしまおうと言う、信仰的な行事である。
7月下旬、土用中の間日(まび)卯(う)辰(たつ)申(さる)のいずれかを、信徒
総代と村総代で相談して決める。
当日午後6時30分頃、梵鐘の合図により、三々五々に集まる。
それぞれ氏神(三聖神社)に参り、―同が御神酒だけの直会をすませ、氏子総代の
―人が御幣を持って、元火に火をつける。
参加者の行列順序は自由であるが、氏子総代が持つ御幣を先頭に鐘と太鼓の
リズムに合せて 「いもち送っくりばい、とっとと送っくりばい、鐘について送っくりばい」
と元気に音頭をとる。
いもち送りの日については、西寺も東寺も八専(はっせん)の内、卯 辰 申の日
としているが、辞典を見ると、間日(まび)とは,八専(はっせん)の中の丑(うし)
辰(たつ)午(うま)戊(いぬ)の日となっている。
又、八専(はっせん)とは、陰暦の 壬子(みずのえ ね)の日から葵亥(みずのとい)
までの12日間で、その中の丑(うし)辰(たつ)午(うま)戊(いぬ)の日を間日(まび)
として除き、その余り8日を八専(はっせん)と言う。
1年に6回あって,その間は降雨が多いと言われ、嫁とり、造作などは避けられていた。
従って、火の行事の、いもち送りも、水のない間日(まび)になっている。

                  (参考資料  『西寺の今と昔 』 竹内淳― 書 より)

いもち送りのいわれ (湖南市西寺地区)